再び現れるであろうヴィエンタとメイ。彼女たちを迎え撃ち、メイを連れ戻すために探索任務へ通うようになってから1週間程が経つ。
いつやってくるのか分からない、そんな緊張感を毎日抱えながら過ごしていた5人ーーナナリカ、アテフ、めぐ、フィリア、ソフィア。それでも皆諦めず、この日も探索任務へと踏み出していた。
海底探索。
空は水面、地面も豊かな水で覆われているという、ウォパルの中でも極めて不可思議なこのエリアで、水を踏み鳴らしながら歩く。
「とても美しい場所だなっ!」
「そうだな。メイを連れ戻した暁にはまた訪れてみるのも良いだろう」
「あっくん、ボクとのデートも忘れないでねっ!」
「だーかーらー!!!!やめろと何度言えば分かるのだ!!」
いつもの流れでいつもの大騒ぎを始めた一家3人を、フィリアとソフィアがそれぞれ苦笑し、大笑いした。
「あはは……。本当、仲が良いのか悪いのか……」
「仲良し仲良し!仲が良いからこその口喧嘩よ、あれは!」
そんなソフィアの言葉が耳に入り、ナナリカが勢いよく振り返る。
「ワタシとめぐのどこが仲良しなのだーっ!」
「えー、ひっどいなー!」
ナナリカの怒号に、めぐがわざとらしく悲しんでみせる。これにまたソフィアが笑い出し、アテフとフィリアも思わず微笑んだ。
ーーそこに近付いてくる何者かの気配を、ソフィアがいち早く察知した。
「!!何か来るわよ!」
「!!」
5人の表情が引き締まる。程なくして皆の目の前にダーカー因子の渦が現れ、その中から2つの人影が見える。次第に姿があらわになりーー
「あれ、人数が増えているね。参ったな、3つしか用意していないよ」
1週間前よりも更に異形の姿を呈し、ニコリと笑っているヴィエンタが立っていた。
そして、その隣ではーーメイが虚ろな表情で佇んでいた。
「メイ、さん……」
真っ白な髪、真っ赤な瞳から流れる血のような涙、歪な2対の翼……変わり果てたメイの姿を見たフィリアが悲しげに俯く。そんなフィリアの肩を、ソフィアがぽんと叩いて笑いかけた。
「しっかり!連れ戻すんでしょ?顔上げて、向き合わなきゃ。ね?」
「ソフィアさん……。……そう、ですね。そのために来たんですから……!」
ソフィアの言葉で奮起したフィリアは、しっかりとメイを見据えた。
そしてアテフは、ヴィエンタの変化にも危機感を抱き、苦い表情を浮かべていた。
「ヴィエンタ……お前も、このままでは『呑まれて』しまうぞ……!」
「あぁ、これ?何も問題はないよ。私もメイやパパと同じところに行くのだから。キミたちも、今から連れて行ってあげる」
ヴィエンタはアテフの忠告を何のてらいも無く受け流し、黒い甲殻が現れ始めている左の手のひらに小さなダーカー因子の渦を、右手に長槍を構えた。
「キミたちはみんなメイにとって大事な人だろう?順番なんてどうでもいい」
一言告げ、跳躍。ダークファルスとしての力をあらわにし始めている彼女のそれは、弾丸のような速度。破壊力を増したアサルトバスターが、アテフを襲う。
「ぐっ……!」
アテフは長槍の切っ先が届く直前、ツインダガーを抜いて防御を試みた。勢いまでは殺せず、しかし地に足は付けたまま、アテフの身体は数メートル後方へ吹き飛ばされた。
「あは、さすがアテフおじさん。立っていられるんだね……おや」
ヴィエンタは横からの風圧を感じ、飛び退く。ヴィエンタが立っていた場所には、フォトンの残滓を纏って着地するめぐがいた。グランウェイヴを外し、忌々しげにヴィエンタを睨み付ける。
「メイちゃんだけじゃなくてあっくんにまで手を出すなんて……」
「勘違いしないで欲しいな。キミも、ナナリカという子も、こっちに来て貰うって言ったじゃないか」
笑みを崩さないヴィエンタ。そこに、更なる攻撃が迫っていた。
「誰がオマエのもとへ行くもんか!!!」
ナナリカのワイヤードランスがヴィエンタを捕らえるために飛ぶ。バインドスルー、しかしそれもまた空を切った。
「何故?メイと一緒に居たくないのかい?」
横っ跳びに躱し、何事も無かったかのように佇んみ、何を言っているのか分からないという表情で首を傾げるヴィエンタ。そんな彼女に、体制を立て直して間合いを測るアテフが聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「無意識の内に狂っている相手程、厄介なものはないな……」
先程よりも苦々しい表情で、ヴィエンタを見つめると、視線をフィリアとソフィアに移し、告げた。
「ヴィエンタの狙いはひとまず俺たちらしい。こちらは俺たちで相手をする」
「!」
つまり。
「……わかりました。メイさんのことは、任せてください……!」
「おっけー、おじさん!」
フィリアとソフィアはアテフの意思を受け止め、一歩メイの前へ。
一家とヴィエンタ、師弟とメイ。ふたつの戦いの火蓋が切って落とされた。
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「メイさんっ!!!」
フィリアは武器は構えずにまた一歩踏み出し、メイの名を呼ぶ。メイは僅かに視線を動かすのみ。フィリアが負けじと言葉をかけていく。
「ごめんなさい。あの時、メイさんの手を取らずに、言うことを聞かずに……傷つけて、しまって……」
「……」
メイの表情は変わらない。しかし……少しだけ、翼が蠢いた気がした。
フィリアは続ける。
「でも……あの時、メイさんが言葉を掛けてくれなかったら……心を揺るがしてくれなかったら、わたしは戻ってこれなかったかもしれない。メイさんは、一番に駆け付けてくれて、立ち直るきっかけをくれたんです。だから……!」
素直な気持ち。「救われたのだ」と。だから、今度は。
次の言葉を紡ごうとしたとき、メイに変化が起きた。
「……ぁ、ア……ッ、」
それまでひとつも表情を動かさなかったメイが、苦悶しながら屈む。その背中に生えている翼が、急速に肥大化していく。
「メイさん……!?」
フィリアは思わず足を止めた。言葉は、届いている。だが、この変化は良いものではないことは明らかだった。
「ウぁぁああアあァああアアアッ!!!」
悲鳴のような、怒号のような声を上げ、屈めていた身体を今度は大きく反らす。大きく肥大した翼の一部が黒い腕のように変化し、それらから泥のようなダーカー因子が溢れては水面にぼとぼとと落とされる。両腕には負のフォトンで生成された鉤爪があらわれ、再び身体を起こしてフィリアたちを睨む顔には翼から溢れるダーカー因子と同じようなどろどろとした赤い涙が伝っていた。
「ウソ、ダ……」
低い声で、憎悪が込められた声で、呟く。
フィリアは首を横に振る。
「嘘なんかじゃないです!嘘だったら、わたしはここにはいません。メイさんを助けになんか、来てないです」
強い意思を持ってメイに語りかけた。
しかし。
「う、ソ、ウソダ、ウソダ、ウソダウソダウソダアアあアああアアアッッ!!!!」
メイは叫び狂い、翼を振り乱し、鉤爪を振り上げながらフィリアに襲い掛かる。
「く、っ!!」
フィリアはツインダガーを抜き、鉤爪を迎え撃つ。激しくぶつかり合った刃が、ギリギリと音を立てて拮抗。
「メイさんっ……、今度はわたしが、あなたを……!!」
フィリアが僅かに押し返す。メイはフィリアを睨み付けながら、背中で蠢く腕をフィリアに振り下ろそうとした。
「おおっと!させないわよっ!!」
ソフィアはパルチザンを抜き放ち、素早く背後に回る。フィリアに襲い掛からんとしていた腕を、スライドエンドの一振りで消し飛ばした。
メイは更に憎悪に染まった顔をソフィアに向け、鉤爪を振るう。ソフィアは後方に跳躍し、軽々と躱した。
「ジャ、マ、ジャマ……いたイ、イタイ……!!!」
「邪魔だなんて失礼しちゃうわ!まー、あなたからしたら誰だお前!って感じだろうけど!」
切り落とされた背中の腕は、切り口からどろどろとダーカー因子を垂れ流しながらだらりとぶら下がり、残った腕と翼がソフィアへの殺意を持って蠢いている。ソフィアはしかし動じず、軽口を放っていた。
「そんな訳で、フィリア!この子を連れ戻すのはあなたの役目。私は全力でサポートするわ!」
「!はい……!よろしくお願いします!」
メイの心を動かせるのは、フィリア。弟子としてメイと苦楽を共にしてきた彼女が適任だ。
フィリアもそれを重々に承知し、メイに立ち向かった。
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長槍と背中に生える幾多もの腕を振るうヴィエンタの猛攻は、3人がかりの攻撃でさえ阻んだ。
アテフがツインダガーとダブルセイバーを駆使して正面から切り込む。しかしそのどれも、ヴィエンタに届かない。長槍を凌いだかと思えば、腕が次々襲う。その腕を、めぐが蹴り潰す。蹴り潰したそばから、すぐに腕が再生してしまい、きりがない。ナナリカがダーカー因子を纏う左腕を狙う。しかしそれも、腕が阻む。
平行線を辿る戦い。僅かでも疲弊、または隙を見せた方が、終わり。そんな中でも、アテフはヴィエンタに思いをぶつけ続けていた。
「ヴィエンタ……あれが、お前の望む幸せだと言うのか。かつての日常とは程遠い、あれが!」
すぐそこで繰り広げられるメイとフィリア、ソフィアの戦いを見やり、叫ぶ。
「今は、そうだろう。でもみんなもメイとパパの所に行けば、争うこともなくなる。日常が、幸せが、返ってくる。早くキミ達がこっちに来ないから、ああなるんだよ」
ヴィエンタはそんなアテフへ、僅かな怒りを込めて返した。そして。
「だから……早く」
ヴィエンタは腕を4つを振り上げ、アテフに振るおうとする。めぐはそれを見逃さず、蹴り潰そうとした。しかし。
「なっ……!」
その腕は、めぐの蹴撃を掻い潜って地面へと消えた。3人が皆、一瞬動揺する。その間に、腕はアテフの背後の地面から生え、その全てがアテフの四肢を捕らえ動きを封じた。
「何ッ……」
「早く、アテフおじさんもメイの所に来てあげて。きっと喜ぶから」
アテフとの間合いを詰め、ダーカー因子を纏った左手を振るった。
「あっくん!!!」
それが届く直前、めぐが2人の間に割って入る。
伸ばされたヴィエンタの左腕は、ダーカー因子は、ーーめぐに取り付いた。
「めぐ!?」
「めぐッ!!」
アテフとナナリカが同時に叫ぶ。めぐは、2人の声に応えない。
「ああ……まあ、キミが先でも問題はないよ。家族の一員も同然の、メイの大事な人。そうだろう?」
ヴィエンタが微笑みながらめぐを見下ろす。
1人目。侵食の成功を確信した。
だが。
「ーーそうだね。ボクにとってもメイちゃんは大事な子だよ」
「なっ……!?」
めぐはヴィエンタを見上げ、彼女の左腕を蹴り上げる。そうしてガラ空きになった胴体へと、怒りの篭った一撃を叩き込んだ。
「がッ……!!」
ヴィエンタは息の詰まったような声を上げ、蹴撃の威力を少しも殺せずにふき飛び、背後にある石柱に叩き付けられた。その場に倒れ込み、苦しげに呻きながらも、顔を上げてめぐを見上げる。
「キミは……何なんだ……」
忌々しげに問う。めぐもまた、怒りのままヴィエンタを見下ろし。
「何だっていいでしょ?それより……メイちゃんをあんな風にしたこと、あっくんとナナリーを悲しませたこと……それと今、あっくんを奪おうとしたこと。許さないからね」
「っ……!!」
程々に答え、ヴィエンタを睨み付けた。
このまま攻撃には移らず、先にアテフの安否を確認するため振り向いた。
「あっくん大丈夫?怪我してない?」
「あ、ああ……。俺は大丈夫だが……」
腕から解放されたアテフは、まだ驚きを隠せずめぐを見つめていた。そしてナナリカも駆け寄り、アテフが言うよりも先にめぐの身体を案じた。
「めぐお前、なんともないのか!?」
「うん。こういうのには『強い』から!その分浄化とは無縁だけど」
めぐは自慢げに胸を張り、笑顔を向けた。
彼女はツインテールと小さな黒翼をひらりと靡かせながら、ヴィエンタに向き直る。アテフとナナリカも続いて、一歩歩み出た。
---
「ーー」
メイにまた変化が起きたのは、ヴィエンタがめぐの蹴撃を受けて吹き飛ばされた時とほぼ同じくしてのことだった。
猛然と、休むことなく両腕の鉤爪を振るい続けていたメイが、ぴたりと動きを止めた。
「!隙あり、です……!!」
フィリアがそこにブラッディサラバンドを放つ。しかし、斬撃が届く前に、メイはダーカー因子を纏ってフィリアの目の前から消えた。
「っ!?どこにっ……」
「あっちよ!!」
即座に周囲を見回すフィリア。ソフィアは先にメイの行き先に気付き、指をさした。その先では、倒れているヴィエンタとそれに向かい合う一家の間に立ち、一家に鉤爪を向けて睨んでいるメイの姿があった。フィリアとソフィアは急いで一家のもとへと駆けて行った。
一家はヴィエンタに追撃を仕掛けようとしていたところに割り込まれ、動きを止めていた。ますます異形かつ邪悪な姿となった翼が、鉤爪が、彼等に殺意を向けている。
「メイ……ソレが、オマエがずっと抱え込んでたモノなのだな……」
ナナリカが、そっと呟く。そして。
「何度も、ワタシたちは『無理をするな』って言ったのに!!オマエはいっつも笑ってばっかで!!そうなる前にどうして、どうしてもっとワタシたちを頼らなかったんだ……!!」
大粒の涙を流しながら、悲痛に叫んだ。しかし、メイは黙ったまま。
「ワタシたちは『家族』だろうっ、一番近くにいたのに、オマエは……」
メイが答えようと答えまいと、思いのたけをぶつける。
「ワタシたちのこと、ちっとも信頼してなかったのかっ!!?」
ーーこの一言を放った瞬間、僅かに翼が身じろぎをしたように見えた。
「……」
無言、無表情。しかし、その目からは先程までよりも多くの真っ赤な涙を流していた。声は届いている。この場の全員が確信し、続けざまに言葉を掛けた。
「メイ、お前は今どうして欲しい。今からでも遅くはない、言ってみなさい」
アテフが優しく語りかける。
「わたしには、メイさんが何に思い悩んできたのか分かりません……。でも、助けたい気持ちは同じです。戻ってきて欲しいです。わたしが言うとワガママみたいですけど……」
フィリアが少し苦笑しながら静かに語りかける。
「こんなに沢山の人に慕われてる。こんなステキな事に今まで気付いてなかったの?ナナリカちゃんの言う通り、もっと頼ってあげなさいな!あなたは1人じゃないのよ!」
ソフィアが快活に語りかける。
「ナナリーとあっくんも、苦しかったこと、メイちゃんにして欲しかったことを言ってくれてるよ。フィリアさんだってソフィアさんだって、メイちゃんを助けたいって思ってここにいるんだよ。ボクも、メイちゃんの力になりたいから、ボクたちの声に応えてほしいな」
めぐが穏やかに語りかける。
「…………ア、あ……」
ーーメイが、声を絞り出す。何かを訴えようとしているのか、嗚咽を漏らしているだけなのかは分からない。だが、その表情には確かな変化が見られた。
酷く哀しげに眉を歪め、赤い瞳は視点が定まらず震えている。5人がそんなメイに歩み寄ろうとしたとき。
「邪魔、ヲ……すルなアアアアぁぁアッ!!!」
メイの背後から、憎悪に満ちたヴィエンタの怒号が聞こえたかと思うと、無数の黒い腕が5人を取り囲むように地面から伸びてきた。
「!!まずい……!」
アテフが叫び、それに続いて皆もそれぞれ武器を構えて腕を迎え撃とうとした。しかし、新たに伸びてきた更に複数の腕が5人を捕らえる。
このままではーー
最悪の事態を想定した、そのとき。
「イ、ヤ、イやダ、イヤ、イヤイヤイヤイヤイヤイヤああああアあアアアアアアアアアアアッ!!!!」
メイが、悲鳴を上げた。
この絶叫で、ヴィエンタの腕がぴたりと動きを止めた。
「っ……!!!は、あっ……はあっ……。そう、だったね、傷付けることが目的じゃ、ない……。ごめんね、メイ……」
我に返ったヴィエンタは、地面から生えた腕を引っ込め、5人を解放した。腕に阻まれて見えなかったメイの姿が再び見える。ぐったりと項垂れて、翼からは最早翼と認識出来るかも怪しい程の量のダーカー因子が溢れ出し、翼を覆っていた。メイの感情に呼応するかのように、とめどなく。
もう一度、もう少しだ。そう思い、皆がまた口を開き掛けた。しかし。
「次は……ちゃんと、みんなを連れて行くから」
ヴィエンタの落ち着き払った声がしたかと思うと、メイの隣に立ち、そのままメイを連れてダーカー因子の渦に包まれていった。
「待て……!!」
アテフが手を伸ばす。他の4人もメイとヴィエンタを呼び止めるが、それも虚しく目の前から完全に姿を消してしまった。
姿を消す間際のメイの表情は泣きそうに歪んでいた。